1924年パリオリンピックの日本選手団
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(パリオリンピック (1924年) 日本選手団から転送)
オリンピックの日本選手団 | ||||
日章旗 | ||||
IOCコード: | JPN | |||
NOC: | 日本オリンピック委員会 公式サイト | |||
1924年パリオリンピック | ||||
人員: | 選手 19名、役員 9名 | |||
メダル 国別順位: 23 位 |
金 0 |
銀 0 |
銅 1 |
計 1 |
夏季オリンピック日本選手団 | ||||
冬季オリンピック日本選手団 | ||||
1924年パリオリンピックの日本選手団(1924ねんパリオリンピックのにほんせんしゅだん)は、1924年5月4日から7月27日まで開催された1924年パリオリンピックの日本代表選手団及び競技結果。選手名及び所属は1924年当時のもの。
夏季オリンピックにおいて、日本が金メダル無しに終わった最後のオリンピックとなった。1928年以降は、各大会1つ以上金メダルを獲得し続けている[1]。
メダル獲得者
[編集]銅メダル
[編集]陸上競技
[編集]→「陸上競技日本代表」も参照
- 岡崎勝男(東京帝大出、当時は外交官としてパリ在勤中)
- 男子5000メートル競走:途中棄権
- 男子10000メートル競走:棄権
- 金栗四三(東京女師教)
- 男子マラソン:途中棄権
- 三浦弥平(在ドイツ)
- 男子10000メートル競走:棄権
- 男子マラソン:途中棄権
- 上田精一(東京高師)
- 男子近代五種競技:途中失格
- 織田幹雄(広島一中出)
- 谷三三五(満鉄)
- 田代菊之助(中大)
- 男子10000メートル競走:棄権
- 男子マラソン:途中棄権
- 納戸徳重(東京高師)
競泳
[編集]- 宮畑虎彦(東京高師)
- 男子100m自由形:準決勝棄権 予選全体5位・組3位(1分04秒2・日本新)
- 男子400m自由形:予選落ち(5分37秒8)全体11位・組3位
- 高石勝男(早高)
- 男子100m自由形:5位(1分03秒0)準決勝全体4位・組3位(1分02秒4・日本新)予選全体4位・組1位(1分04秒0・日本新)
- 男子400m自由形:予選棄権
- 男子1500m自由形:5位(22分10秒4)準決勝全体3位・組2位(21分48秒2・日本新)予選全体6位・組2位(22分43秒2・日本新)
- 斎藤巍洋(立教大)
- 男子100m背泳ぎ:6位(1分19秒8)準決勝全体6位・組4位(1分19秒6)予選全体6位・組2位(1分20秒2)
- 石田恒信(関西学院)
- 男子100m背泳ぎ:予選落ち(1分26秒4)予選全体14位・組4位
- 男子200m平泳ぎ:予選落ち(3分09秒2・日本新)予選全体13位・組4位
- 小野田一雄(拓大)
- 男子100m自由形:予選落ち(1分05秒4)予選全体10位・組3位
- 男子1500m自由形:予選棄権
- 野田一雄(浜松商)
- 男子400m自由形:予選落ち(5分43秒8)全体14位・組3位
- 男子1500m自由形:予選落ち(23分44秒2)予選全体14位・組3位
- 宮畑虎彦・高石勝男・野田一雄・小野田一雄
- 男子4×200m自由形リレー:4位(10分15秒2)準決勝全体3位・組3位(高石・野田・宮畑・小野田 10分12秒4・日本新)予選全体2位・組2位(野田・宮畑・小野田・高石 10分24秒2・日本新)
テニス
[編集]- 岡本忠(三井物産)
- 男子シングルス:2回戦敗退
- 原田武一(ハーバード大学)
- 男子シングルス:準々決勝敗退
- 福田雅之助(高田商会)
- 男子シングルス:4回戦敗退
- 本田朝次(三井物産)
- 男子シングルス:1回戦敗退
- 福田雅之助・本田朝次
- 男子ダブルス:2回戦敗退
- 岡本忠・原田武一
- 男子ダブルス:2回戦敗退
レスリング
[編集]- 内藤克俊(ペンシルベニア州立大学)
- フリースタイルフェザー級:銅メダル
役員
[編集]脚注
[編集]- ^ 1948・1980は非出場
参考文献
[編集]- 日本オリンピック委員会監修 『近代オリンピック100年の歩み』 ベースボール・マガジン社、1994年。
関連文献
[編集]- 藤瀬武彦「スポーツ文化財としてのオリンピック関連資料の収集について 第三報─1924年第8回パリオリンピックに関する収集品─」『新潟国際情報大学国際学部紀要』第6巻、2021年、97-105頁、2021年8月24日閲覧。